神奈川大学時代

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神奈川大学の本部キャンパスは、横浜に近い、東横線の白楽にあります。
一方、新しい平塚キャンパスは東海道線の平塚市の北の外れに位置していました。
湘南キャンパスなんて宣伝していますが、とんでもない。
平塚の秘境の山を一つ潰してキャンパスにしたものでした。
北隣の秦野市との境界に近く、駅で言えば小田急線の秦野の方が、比較的、近い駅です。
金目川を挟んで東海大学があります。
川崎から、ここに通うのは、結構、大変。
というわけで、1年目は、秦野市内のアパートで様子を見つつ物件探し。
結局、最終的に、秦野市に一戸建てを建てました。
これが、後に、当社の神奈川研究所になる建物です。
当時は、バブルの真っ盛りで、田舎の土地でも値上がりしていました。
しかし、後に売る際には、もっと上がるだろうと誰もが思っていた時期だったのです。
そこで、建売ではなく注文建築にしました。
設計会社を入れる本格的なやつ。
県立の弘法山公園の下で、南向き斜面の見晴らしの良い高台に45坪、2階建て。
外壁は大理石吹き付け。
(汚れるのは同じでした。
今は、その上に別の吹き付けをしています。)
1階は、別荘のように、丸々、1LDK。
間に、ホテルのような移動式間仕切りがあります。
床暖房・ジェットバス・食器乾燥機は、今でこそ当たり前ですが、当時としては先端でした。
浴槽・洗面所は、車庫上の中二階。
浴槽だけで4畳くらいで、総大理石張りにしたりして。
この出窓から富士山が一望できます。
夜は秦野市街の夜景が見えました。
今になってみれば、このように、少しだけ高級にしておいてよかったですね。
秦野の他の住宅と差別化できるので、15年後、引っ越す際にも、無事、借り手が見つかりましたもの。
ついでに言えば、この立地は中々のものでしたよ。
すぐ近くに東名の秦野・中井インターがあり、東京の料金所まで、(渋滞してなければ、)30分です。
目的地までは、首都高に乗ってからの方が渋滞で時間が掛かる有様。
東京のレストランで、夜、食事をした後、ドライブして家に帰るのに丁度の距離です。
逆方向の箱根や富士山も日帰りでドライブできます。
実際、富士の天神山スキー場なんか日帰りでした。
湘南もドライブコース。
良く立ち寄りました、大磯プリンスホテルには。
西湘バイパス使えば江ノ島も近い。
(いつも、渋滞してましたが。)
富士の裾野、河口湖にある、FITリゾートクラブの会員になって、日曜日には、よく出入りしてましたよ。
ゴルフするより、スポーツクラブとして、水泳やエクササイズしました。
これが、バブルが弾けて、一度、倒産したんです、御多分に漏れず。
これで、会員権(600万円)が一部戻ってこなかった。
(なお、このFITは、同名の情報系学会とは無関係です。)
こういう風に書くと、遊んでばかりいたように見えるかもしれませんが、そうではありません。
どちらかというと仕事熱心な方です。
どれくらい熱心かといえば、
「結婚した方が便利だ」
とは思わないくらいです。
この意味、判ります?
「家で、妻や子供が傍にいたら邪魔」
という感覚ですよ。
だからこそ、今や、こういうことになったわけです。
遊んでいたなら、腰弁連中と、適当に馬を会わせて、神奈川大学で、一生、過ごしています。
また、妻子がいたら、辞職になるまで突っ張ることもなかったでしょう。
第一、そこまでいく前に妻が止めますよ。
御中元・御歳暮なんかも、上手に送ったはずです、多分。
どちらの生き方が上手いかは、人の価値観によるでしょう。
しかし、どちらが上流かは、やがて、判ります。
但し、再婚しないわけではありません。
というわけで、話を神奈川大学に戻しましょう。
当然、採用時は幹部候補ですね。
しかし、神奈川大学で幹部になったところで、たかが知れています。
こちらは、日本の、というか、“世界の山口”になるつもり。
米国で、世界標準というのが、どの程度か、経験してきました。
世界No.1も手が届かないレベルではありません。
つまり、
「神奈川大学の寸法に合わせて丁度ぐらいになるまで、潰される気がなかった」
ということです。
「あいつはキレ過ぎるから、少し、鈍くしよう」
なんて、平気で集団実行する風潮があります、日本の大学には。
和の思想を捻じ曲げて解釈すると、こうなるという見本。
何も知らない若手が腰弁教授に扇動されて、無邪気に実行するから始末に終えません。
やがては、自分達がやられるとも知らず。
この記事を読んだ後は、素直に覚悟を決めるでしょう。
天才相手に、ここまで跳ねたんですから。
やはり、選ぶ職場は大事です。
格違いの場に行くべきではない。
(落ち毀れニートの言い訳にはなりませんよ。
エリート向けの情報です。)
これが、神奈川大学に行った一番の収穫でした。
普通は、これで諦める日本人が多いでしょう。
大学とは、こんなものかと。
第一、能力が足りない腰弁が多いから、
「大学へ行けただけで万歳」
というレベルの連中ばかりです。
世界レベルを狙うとか、歴史に残るなんていう、青春時代の野望は、とっくの昔に捨てています。
予算獲得のため、表面上、大きいことを言ってるだけ。
やってる内容は、殆どが、翻訳か屑研究か事務。
これが日本の現実です。
大学教授と組んだ経験のある企業なら思い当たる節があるでしょう。
しかし、私の場合は違います。
来る前から、別の大学に移籍することは、暗黙の、というか、阿吽の了解事項です。
居心地の悪い大学に縋り付く気はない。
というわけで、早速、3年目あたりから、次の大学へ移る準備を始めました。
今回は、ヘッドハンティングを待つのではありません。
つまり、自分で他大学の公募に応募するわけですよ。
すると、バレますね、狭い仲間内の専門分野ですから。
当然、神奈川大学としては面白くない。
どうせ出て行くなら、幹部候補として遇する必要はないと考え始めます。
それが過ぎるとです、
「昇進させなくてもいいだろう」
なんていうコンセンサスが醸し出されたりするわけです。
早い話が、潰しにかかるわけ。
最初は、神奈川大学に適合する程度に、ストレスで潰そうとしていたんですよ。
それが、やがて、
「出世させるな」
に変化してきた。
更には、変な噂を流して、本格的に潰しにかかる。
というわけで、その後、神奈川大学では、ズット、講師のまま。
同期の腰弁は教授になっていきます。
できの悪い連中が、一人前の気分になっているのが気に入りませんね、こちらとしては。
しかし、神奈川大学にいる限り、どうにもならないわけですよ。
何とかして出るしかない。
しかし、腰弁連中は、邪魔をして、悪い評判を立てる。
というか、悪い評判が立つように画策する。
最後は、学生まで巻き込んでくる。
これが神奈川大学裁判の背景です。
当時の関係者なら皆、経緯を知っています。
口を閉ざして誰も何も言いませんが。
よって、裁判官のボケには判らないわけです、本当の真相が。
「世渡りが下手で、生意気な奴が、自分勝手なことを言っている」
という常識的な判断しかできない。
というか、薄々、判っていても、
「また、世間知らずが一人潰されたか」
程度の認識。
世界を巻き込んで、日本の格問題にまでなる騒ぎに発展するとは夢にも思わなかったでしょう。
世間には常識で測れない天才もいるのですよ、このように。
以後、気をつけるように。
といっても、100年に一度、出るか出ないというレベルの話だから、例外中の例外ですね。
この意味では無理もないか。
しかし、こちらとしては、絶対に、引き下がるわけにはいきません。
で、私としては大学を出るしかない。
その為に、かなりの大学に応募しました。
しかし、学外に仲間を作っていなかったので不利です。
その結果、応募した大学は全滅。
意識的に仲間を作らなかった理由は、今になれば、判るでしょう。
やがて、こうなる宿命だったからです。
つまり、
「学会を相手に、戦争することになるかも・・・」
という予感はあったのです当時から。
そのための準備を怠り無いように実施したわけ。
1996年には会社を設立し、98年には株式会社化しておきました。
自分の会社を起こした後の応募は、どちらかというと、市場調査の意味合いが強いものでした。
採用を期待するというよりも戦争準備という位置付け。
学会発表でも戦争準備を着々と進めておきました。
旧帝大クラスの腰弁団栗にしたら、論文を書くことが比較のモノサシです。
しかし、今、騒ぎになっている「P=NP?」問題の場合、論文一本で片が付くような甘いものではありません。
そのレベルでは測れない話なのですよ。
既存の専門常識が引っくり返る結末なのです。
歴史的事件です。
相手に納得させるのに10年以上かかったという、目の前の事実を振り返ってみてください。
これこそが、チャチな論文書きにエネルギーを費やさなかった理由です。
英文論文の専門誌投稿なんか欧米の御機嫌取りのようなもの。
「誰か大物を支持し、追従する内容なら、即、採用。
それ以外は、中々、認知されない。」
と相場が決まっています。
そんな提灯記事が書けるか、私に。
そもそも、実力が下の査読者が、私の仕事の真価を細切れ論文一本で理解できるはずもなし。
というわけで、日本語で書いた学会発表が私の仕事のメインになっています。
これなら、好きな内容を好きなように書いて、勝手に発表できるからです。
(但し、日本の学会でも素人がアホな発表すると、その後、誰も相手にしなくなります。
つまり、自由に発表できるということは、自滅も覚悟しておけということ。
責任は自分にあるのです。
これこそが、院生が集団発表したり、教授の名前を借りたりする理由なのですよ。
プロ予備軍の卵の世界はキビシイの。
時々、この程度の常識が判らない馬鹿がいますね。)
今頃、英語圏の連中は、さぞ、翻訳に忙しいことでしょう。
だって、「P=NP?」問題を難問指定したので、歴史問題化していますから。
更には、
「私はキリストを超える」
なんて言い出しましたから無視はできないでしょう。
但し、Cookの証明の間違い指摘レベルなら論文でも可能です。
しかし、こちらの方はチューリング賞の名誉と言う厄介なファクターが関与してきます。
しかも、相手にとっても死活問題になります、冗談抜きで。
Cook御本尊だけではなく、教科書を書くレベルの幹部連中が、軒並み、討ち死にですよ。
学会で素直に認知されると思う方が、どうかしています、歴史を知っているならば。

閑話:

100年前の脚気菌騒動を思い出してください。
日露戦争で陸軍の兵隊は病死するわ、ビタミン鈴木がノーベル賞を取り損なうわ。
後から国内の教科書で美化しても、何の意味もありません。
海外では鈴木梅太郎は無名です。
第一、脚気で病死という事実は隠したいでしょう、政府としては。
だから、逆に、乃木や鴎外を有名にしてカモフラージュしたのです。
この意味で、祟られているんですよ靖国神社は。
第二次世界大戦の特攻で勇ましさを強調しても駄目です。
中韓のイチャモンは表面的な現象に過ぎません。
何が悪いのかって?
日本人の“都合の悪い事実は意図的に隠す”という姿勢です。
政府から大衆まで染み付いています。
子孫の場合、知らなければ、それで済むという問題ではありません。
この程度のことも判らないのですか。
例えば、あなたなら、人が殺された部屋に住みますか?
知っている、知らないの問題じゃないでしょう。
但し、知っていれば、避ける人は避けますね。
この指摘で、少しは、真実が見えてきたでしょう。    ┤
つまり、こちらも、発表には細心の注意が必要でした。
こういう準備をしているものだから、団栗並みの論文書きが出来ていなかったのです。
すると、腰弁から見れば、採用を見合す口実になりますね。
デキルという噂と、駄目だという噂が、同時に走っている状態では、採否は相手の胸先三寸で決まります。
すると、腰弁が足を引っ張る効果が大きく作用することになるわけです。
減点法。
マ、こちらとしても、自社でビジネスすることが目的ですから、落ちても、それほど痛くはありません。
但し、言っておきますが、行くつもりが無いのに応募していたわけではありません。
大学ですから、行った先でも、IT企業として特許で金儲けすることには何の問題もないからです。
この点、誤解しないように。
しかし、今や、戦争状態に入ったので、今更、大学に行く気はありません。
だって、どこの大学の誰が敵なのか判らないでしょう。
相手は姿を隠して攻撃しているわけですから。
それにですよ、格も実力も上で正しい仕事をした私の方が、このように、大学追放になっています。
これでは戦争は終了しませんね。
懸賞金を獲得したレベルでは辻褄が合わないということです。
しかるべきビジネス的勝利を得るまでは。
これの具体的な姿がMSとの特許訴訟です。
納得いきましたかビジネス界の皆さん。
そこらの、ポット出が、運良く、一山当てたのとは格が違うということ。
というわけで、10年間は準備段階でした。
この間、日本はバブルが弾け不動産が下落。
売ろうにも、売る気がしません。
身分的には、ズット、大学講師のままです。
「あいつは、出世に興味がないのか?」
なんて勝手な噂を流してくれたアホもいたりして。
その逆でしょう。
人類で一番出世したいタイプだったのですよ。
そして、ノストラダムスの1999年を無事乗り越えて、愈々、2000年になりました。
世はITバブルで、一部の連中が浮かれている最中。
天祐というのでしょうか、「P=NP?」問題がミレニアム難問に指定されたのです。
実は、この時点では指定されたことを知りませんでした。
風の噂で知ったのは翌年の2001年です。
それまでの準備は、
『状況依存性で、AIの難問「フレーム問題」を攻略する』
という戦略だったのです。
しかし、これでは、今ひとつ、インパクトに欠けます。
プロ的には、フレーム問題の方が「P=NP?」問題の解決以上に影響力があるのですが、世間的には、今ひとつ。
ビジネスの観点からも、天秤は、やはり、懸賞金に傾きます。
かくして、急遽、目標を変更。
「P=NP?」問題がターゲットになった次第です。
いずれにせよ、状況依存性が鍵なのです。
「戦争開始の時点で計算量のことを知っていたのか?」
なんて野暮な質問をする初心者がいます。
知っていましたよ、米国留学から帰国して日本IBMに出入りしていた時から。
だって、当時は、日本IBMの研究所に足立君がいました。
更に、イリノイの竹内君も、バスに乗って、この方面に興味を抱き始めた時期です。
(この皮肉、判ります?)
日本IBMやNEC時代には計算機の基礎として研究しておきましたよ。
ICOTに出入りしつつ。
尤も、論文は一本も書いていません。
寧ろ、知らぬ振りをしていました。
その理由は、今になってみれば明らかでしょう。
そこらの計算量理論のプロよりは、遥かに、内容が判っていたという証拠です。
かくして、2000年の春、宣戦布告です。
開戦の公告を開示しておきましょう。

  1. 布告A
  2. 布布告B

これが、今では語り草になった、学内ホームページに掲載した記事です。
それ以外、何の落ち度も無い大学の教員が首になる文章だということ。
今や歴史的資料の位置付けになっています。
(自慢しているわけではありません、裁判に負けましたから。)
内容的には、取り敢えず、神奈川大学の情報科学科と神解連相手の局地戦。
文中、部落とあるのは、近所の神奈川県部落解放連盟のことです。
それまでに連中と喧嘩していましたから。
この点が首の主要因の一つになったことは間違いありません。
こういう連中は骨の髄まで卑怯で、喧嘩を差別に摩り替えるのですよ。
それにより、自分達の行為を正当化しようとするのです。
日本の皆さん気を付けましょう。
喧嘩の原因?
私がエリートだからです。
上品なのが気に入らないの。
何とか、自分達レベルの下品さに引き摺り降ろそうとするわけ。
連中にすれば、平均化しているつもりなのですよ。
こう言えば、皆さん、納得するでしょう。
引っ越す前に、土地の由来を不動産屋に聞きました。
しかし、聞いても何も教えてくれなかった。
教えると商売にならないのでしょう、多分。
それゆえ、引っ越した後も暫くは知らなかったのです、近所が同和地区だとは。
(現在は、宅地開発して、色々な人が引っ越してきています。)
なお、喧嘩の最中、連中が言うには、
「お前は警察に目をつけられてるぞ」
と。
鸚鵡じゃあるまいし。
どういう意味なのかは判りませんが、言われてみれば腑に落ちる点も多々あります。
一部スト-カーは、どう見ても、組織的に動いていました。
一番興味深い具体例は、
「小田急線に乗っていて、東京と神奈川の境界にくると、実行部隊が入れ替わる」
という点。
連中、それが、こちらに判るように行動するのですよ。
つまり、存在を知らせてストレスを掛けてくるわけです。
勿論、私もストレスを掛け返します。
これ、アメリカから帰国して以来ズット続いていました。
アメリカからの付け馬とも違う。
何かの調査なのか?
いずれにせよ、この点が連中を勢いつかせた部分はあります。
警察が自分達の味方をしていると錯覚するんですね。
「我々は正義の味方だ」
とか。
アホくさ。
これが事実なら、警察ごと悪。
集団ストーカーで犯罪行為。
ひょっとして、盗聴なんて真似も平気でしているかも。
人間、徒党を組むと心理が変わりますから。
文中、学生Nというのが登場しますが、卒研指導の学生の一人です。
彼には、記事にすることを前もって言っておきました。
つまり、本人も書くことを承諾済みだということです。
冗談ではなく、事実です。
教授に対する罠だという意識はありませんでした。
しかし、結果は、このように、見事に馬脚を現しましたね連中は。
兎に角、すでに、この時期、こちらの落ち度を鵜の目鷹の目で探っている最中です。
待ってましたとばかり、いい餌になったわけです。
判りますか、状況が。
戦争を始める場合、一方的な理由なんてないのですよ。
必ず、相手にも、それなりの原因・要因というのがあるのです。
この場合は、
「私が戦争を始めなくても、すでに、追い出し工作が始まっていた」
ということです。
貴方なら、我慢して、ジット、待ちますか?
で、あそこまで書いた時点で、学内ネットが遮断されました。
教授会の意思です。
ならばということで、別の評価基準を採用してみました。
つまり、この記事を受け持ちクラスの学生にアンケートとして見せたのです。
そして無記名形式で感想を回収しました。
50、60人の1クラスだけ実施して、15名から解答が返ってきました。
その内訳は、
「賛成、もっとやれ。」
という学生が13人。
反対意見を述べたのが2人でした。
この事実を、どう見るかです。
勿論、教授側は、この結果を完全に無視しました。
逆に、このころから、学生の取り込み工作を始めた感じ。
以後、私の卒研の邪魔までしてくる。
用意周到ですね。
なお、これは裁判資料としてコピーを提出しましたが、裁判所でも無視。
相手弁護士側は、逆に、証拠能力を疑う始末。
アノネー、こういう資料を裁判で提出するのですよ。
嘘付いたら犯罪でしょうが。
それから後は、当社のサイトで、続きの記事を書いてきたわけです。
筋金入りですね。
腰弁連中が何を言っても、途中で止める気なんか毛頭無し。
戒告も糞もあるかという態度。
だって、一度、戦争を始めたら、もはや、後には引けませんよ。
後は、勝つか負けるかです。
こちらが、途中で止めても結果は同じです。
逆に、怒鳴り返したりして。
「最後には首になるぞ」
と警告するから、こちらも、負けずに、
「最後には裁判になるぞ」
と言い返す。
一歩も引く気がないのだからしょうがないでしょう。
まだまだ衝撃の事実が多くあります。
大学が追い出そうと目を付けた相手に、どういう行為を仕掛けるかです。
詳しい内容は裁判資料として残っています。
さすがに、このサイトで、そこまで公開するつもりはありません。
しかし、歴史には資料としてキチンと残りました。
目出度し目出度し。
でもないか。
この時点では裁判に勝つ気でした。
日本の裁判官が、ここまで馬鹿だとは、夢にも思っていなかったからです。
負けた局地戦の資料を見せて、どうこう言っても、負け惜しみに聞こえるだけでしょう。
それよりも、歴史的大勝利を納めた資料について堂々と開示する。
つまりは「P=NP?」問題関係の資料です。
戦域を世界に拡大した情報世界大戦。
これで、タップリと、敵を攻撃できるわけです。
やはり天才は違う。
実は、この時期に書いたブーリアンテストに関する話題は計算量に関係があったのです。
それが後になって理解できるという仕掛けです。
この伏線が判るレベルの知力を持った日本人は一人もいなかったということです。
だって、当時の評判は、
「このベンチマークソフトの、何が、どう、重要で、新しいのか?」
というものでしたよ。
というか、大学の講師がビジネスに色気を出すのは怪しからんという雰囲気。
私はオマンらよりも、もっとビジネスマンだぜ、経営者側で。
中には、言いたい放題、失礼なことを言い出す輩が出現し始めたので、メールで正体を探ったりしました。
すると、その馬鹿が大学に言い付ける始末。
(これが、今に続く、2chの騒ぎの発端です。)
おまけに、近所の連中まで、自分達の行為を棚に上げて、大学にクレームを付けていた。
音が五月蝿いと言ったらしいけど、あの連中、こちらの敷地で焚き火をするわ、物を投げるわ。
で、私も、やり返しました。
当然、喧嘩になりますね。
こういうことが重なって、総て、大学側の追い出し工作のネタになる。
連中もこれを狙っていたのでしょう。
社会的に上の立場の相手と対等の喧嘩が出来て、一人前になった気分。
大学を首にしたと思ってからは、憑き物が落ちたように静かになりましたから。
多分、勝ったと思ったのでしょう。
しかし、こちらにしたら、私の勝ちですよ、ここまで来ると。
後は、ビジネスで金儲けだけです。
この頃です、インテルに、ブーリアンテストの計測結果を知らせたのは。
2001年です。
同時期に新発売のWindows XPがFSTW機能で、私の特許を侵害していました。
しかし、この事実は、暫く後(2003年)まで、知りませんでした。
そうこうしている内に、やがて、本題の「P=NP?」問題をサイトの話題に登場させました。
サイトで記事を書くのと平行して本も出版しました。
これが御神本です。
これを実験室で書いている最中、隣の実験室の学生を腰弁が扇動している様子。
ガタガタ音を出して気になるので、壁を蹴り返す。
これが、学生の間で有名な武勇伝になって伝わっているわけです、今でも。
最後の2002年くらいになると、辞職勧告を教授会で決議する始末。
これでも自分から辞めないものだから、どうしようもない。
とうとう、2003年の6月に、正式に弁護士を介して、自己都合退職の打診をしてきました。
今なら、まだ、退職金が出るという話です。
これに対する私の対応が、これまた歴史に残るものでした。
「神奈川大学在職中に、当社を通じて出した特許の権利関係について、今なら、考慮の余地がある。
裁判になるということは、これを総て放棄するということか?」
と面と向かって言いましたよ。
その正式の返事が放棄するというものでした。
あの時点では、特許で本当にビジネスするとは思ってなかったのでしょう。
神奈川大学も弁護士も社会的不適格ですね。
私が大学を辞めるという意味が判ってないのです、全然。
(Windows XPがFSTWで特許侵害していたことは、判っていたはずです。
おくびにも出しませんでしたが。)
というわけで、自己都合退職を蹴りました。
すると、予定通り、相手は懲戒解雇にしてくる。
それに対し、こちらも、予定通り、退職金を賭けた裁判に突入したわけです。
この時点で神奈川大学に復帰するつもりはありませんでした。
裁判の名目は地位保全ですが、目的は裁判をすること。
日本の裁判官が、果たして、マトモな判断をするかどうかの検証です。
どのくらいの金額で損害賠償するかが興味のある争点でした。
少なくとも、退職金+αが妥当な相場のはず。
ところが、結果は私の敗訴で、一文にもならず。
かくして、退職金を棒に振ったことになります。
しかし、まだ、名誉毀損の裁判を起こす権利は残っていますね。
相手は、私が社会的不適格とか、言いたい放題言ったわけですから。
それに対し、当然、私も言い返しています。
ビジネスに支障が出て放置できませんでしたから。
しかし、両者、対等ではありません。
私だけが首になり、腰弁連中は、のうのうと、給料を貰っているでしょう。
私がビジネスで金儲けするのは、退職後の個人的能力です。
連中も、全員、大学を辞めるのが、喧嘩両成敗で対等だということです。
だから、現時点では、私だけの名誉毀損になっているのです。
教授の悪口を言うのが名誉毀損なのではありません。
能力の無い連中が、教授のまま、天才の悪口を言うのが名誉毀損なのです。
それは、また、後の話題ということで。
ここまでで神奈川大学時代は終了です。
なお、参考までに、授業中のビデオをサービスしておきましょうか。

  1. 布ビデオA
  2. 布ビデオB
  3. 布ビデオC

これは、2000年に撮影したものです。
学生が撮影したものを、編集せずに、そのまま出しています。
ぶれてるし、光線の具合は悪いし、声もろくに聞こえません。
それでも、生の現場の雰囲気が伝わってきますね。
最近の写真は、趣味のページを見てください。

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