2024年9月28日

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2024年9月28日 (神ブランド)

 

前回のレベル5の結果を見て

「レベル5とレベル3の世界は違う。

レベル3世界では1.3秒が基準計算時間で、その他は誤差だ。」

と思う猿がいるかな?

B‐embedの話だから、各レベルの粒が揃っていることが判っているので。

そこまでは考えないはず。

 

ところがね、これが物理計測の話の場合。

「陽子レベルでは、これこれの計測結果で。

電子レベルでは、かくかく云々の計測結果になる。

よって、陽子世界では状況偏差と認めても。

世界が違うので、電子世界では誤差と見做せる。」

なんて推論する猿が多いカモ。

その類推法が本質的な間違いだという証拠を提示できるのですよ。

 

「統計的に見れば、レベル3は1.3秒がメインになっている。」

ことは確かで。

「他の計測時間は滅多に起きない。」

ゆえに、誤差と言いたくなるのでしょう。

そして、

「こういう誤差は滅多におきないのだから。

電子の本質把握に影響しない。」

こう解釈し始めるはず。

 

その認識が甘いのよ。

誤った推論(演繹ではなく、類推)に基づいて。

根本的に事実誤認しています。

私の提示したサンプルでレベル3計測を精緻に検討すると。

二つの計測時間に分かれていることが判るはず。

 

レベル3

 

これは、

「内部アルゴリズムのB‐embed計算時間」

「結果のブール代数グラフの表示時間」

と分けて時間計測しているのですが。

合計が1.3秒でも。

2分配時間が違うことが認知できるでしょう。

 

それぞれ、何秒が

「基準時間」

だと思うのかな?

決定できないでしょう。

これでアドホックに基準を設定したら、私は、更に細かく

「計算区画」

を区切り、夫々の時間表示をします。

 

以上で、

「基準時間からのバラツキは滅多に起きない。」・・・(バ)

なんていう類推は間違いの最たるものだと納得できるでしょう。

(バ)みたいなのを、典型的な

「アドホックな判断」

というの。

身に沁みるだろう、物理猿。

 

かくして、

「基準時間」

という概念は幻だと分かるはず。

偶々、レベル3の全体計算観で見たら、誤差に見えるだけで。

このように、計測時間単位を細かく分ければ。

いくらでもバラツキは発生する仕組み。

内部をキチンと分析したら、また別の世界観になるの。

 

B‐テストも知らずに。

長閑に、オリンピックやパラリンピックなんぞやってる場合か!

開催する方は見世物のビジネスと思っているから。

セーヌ川で泳がせておけばOK宇宙という感覚。

記録基準で言えば、

「同じ処をグルグル回るネズミ」

に見えているカモ。

 

「0.001秒差は誤差か?」

そもそも、

「その計測時間は正しいのか?」

どう思うぜ、アスリートよ。

己らの存在理由の曖昧さを暴露される気分は。

少しは、深刻さが判ってきたかな。

こういう精緻な世界観がB‐テストの御利益です。

 

実は、こういうことが、物理計測の世界でも起きているのです。

電子なら電子の世界で計測して。

偶々、その結果が基準+誤差に見えていても。

計測精度が甘いだけ。

B‐テストにより、この“甘さ”の本質を突くことができます。

 

例えば、レベル1の計測で計測時間の単位を、

「0.0・・・1秒」・・・(秒)

にすれば。

「レベル1なりの状況偏差が出現する。」・・・(1)

ことが判明するという筋書き。

(1)みたいなのを、

「正当な推論」

というの。

背景に原理・原則が控えている。

猿には無理な理性の世界。

 

では、基準設定が原理上無理なら、

「物理理論とは何か?

何であるべきか?」

だからー、状況偏差に基づく状況依存理論なのよ。

少しは参考になったでしょう。

B‐テスト様様だ。

この意味で、B‐テストは分かり易い。

ちなみに、B‐テストの時間計測表示は四捨五入でやってます。

 

ただ、(秒)の計測が正確にできるかどうかは、装置精度次第。

最近の物理では、かなりの精度まで実現していますが。

計測結果の解釈が間違っているのです。

「本質 vs 誤差・雑音」

をゴチャマゼにするんじゃないぞ。

どうじゃ、気分は、量子猿よ。

神を拝めよ。

 

今回の解説(思考実験)で判明したように。

「物理の計測結果に対し状況偏差は常に出現する。

計測単位次第で、バラツキは例外ではなく、頻繁に生起する。」

つまり、状況偏差は物理計測の本質に直結するの。

こういうのは新発見でしょう。

 

自然科学の猿は視野狭窄が多く。

目の前の統計的データだけから、独自の

「術式理論」

を類推する癖が付いています。

大雑把な近似理論になる天命なんですが。

その程度の頭だから、B‐テストレベル3を見て、

「基準 vs 誤差」・・・(基)

という世界観に基づきモデルを構築するのです。

 

それがレベル5にまで世界観が拡大すると、どうなるか?

(基)の世界観を放棄して、新たな世界観に移ります。

これを繰り返すことで理論の果てしない改変作業を実施するのですが。

B‐テストのように、目の前で簡単に、次のレベルの世界に移れるケースばかりではなく。

 

例えば、レベルが

地球<太陽系<天の川銀河<銀河団<超銀河団<・・・

となってくる場合。

簡単に観測・比較が出来ないものだから。

ついつい、B‐embed並みに

「天の川銀河と銀河団では、同じ物理法則が支配するだろう。」

という類推を働かせるわけですが。

 

そんな保証は何処にも無いのですよ。

キチンと計測したのかな?

具体例を挙げようか。

太陽系ぐらいまでを、望遠鏡で覗いていた時代には、

「ダークマター」

とか

「ダークエネルギー」

なんて考え付かなかったのが。

 

赤方偏移由来のビッグバンモデルを経て。

銀河団あたりまでくると。

アドホックに

「ダーク思考」

になったわけです。

では、超銀河団になると、どうなるか?

 

今の宇宙モデルでは、

「追加ダーク」・・・(追加)

を考えて無い模様ですが。

状況偏差の御利益とは、こういう反射神経的類推に基づく

「普遍的思い込みモデル(弊害)」

に対して注意警報を発すること。

だって、常に(追加)が登場する可能性はあるでしょう。

 

こう指摘してあげると。

「そんな可能性は常識だ。」

と言い出すのですが。

常識のわけなかろうが。

(追加)は現時点での

「宇宙の標準モデル」

から外れているぜ。

 

普遍モデルでは(追加)が登場しない可能性も残っているのだよ。

それに対し、状況偏差に基づく世界観では。

常に(追加)が出現するの。

この宇宙モデルは斬新でしょう。

B‐テストの世界はマクロ世界ではありますが。

宇宙と比べれば盆栽のようなもの。

但し、宇宙論や量子論では、指数40乗程度が限界らしいけど。

B‐embedならアトム50(50乗)くらい朝飯前。

(画面表示の世界を超えていますが。)

 

粒ぞろい盆栽観測に宇宙を見出す能力があるかどうかが勝負。

この宇宙観と比べれば、仏教の宇宙観なんぞ漫画というかゴミだわ。

半宗教の分際で

「空」

に関しても、素人相手に何を誤魔化しているのやら。

仏なんぞ崇めるから、神に、こういう攻撃される破目になるのよ。

次回、別の論点について蘊蓄を傾けます。

これで363町目。

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