2025年3月28日

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2025年3月28日 (神ブランド)

 

前回の■の重要性が理解できているかな。

■は情報欠落関数の文脈で登場した記号(名前)であり。

証明場における、本来のセマンティクスは

「(情報が足りず)判定不能」

です。

通常の

「真偽不明」

と一味違うのよ。

 

それを計算論の立場で

「アルゴリズムを書き直せ」

とハイパー解釈しておきました。

これは、どういう伏線か?

その深謀遠慮は、次の結論を強調したいがため。

 

人生のハイパー真理1

計算可能性は証明場の枠から出る。 ┤

 

これは、従来の常識

「計算可能性⊂証明可能性」・・・(⊂)

から外れている驚天動地の結論です。

ちなみに、

「計算可能性=証明可能性」

がヒルベルトの夢だったのですが。

それを打ち砕いたのがゲーデルで。

その後、集合論で、独立したい放題になったという歴史。

 

それでも、従来の常識は、まだ(⊂)の範囲だったのです。

それが何故、破られるのか?

その秘孔は

「数学の証明場は集合論ベース(で真理保存できる)」・・・(土台)

という事実にあります。

厳密でない概念は数学証明の対象外だということ。

つまり、■なんて証明場に導入するのはもっての外。

 

この(土台)が分かってない猿が圧倒的に多いのよ。

その事実を目の前で突き付ける役割りが■。

チャント、■が計算できたでしょう。

だからこそ、■導入には1000兆円の価値があるの。

どうじゃ気分は、物理猿や計算猿よ。

この導入部から、今回の本論に。

まずは、前回の宿題から入りましょうか。

 

従来の猿がやってきたTM論での証明作業は杜撰です。

メタTMにおける

「TM1 vs TM2」

での

「定数倍差問題」

や、

「多項式時間差問題」

は駄目証明の見本市。

 

どこが、どう駄目なのか、猿には判らない模様。

今回は伏線で、次回から本格的な反証に入りますが。

今回の内容も貴重ですよ。

猿の証明作業と言うものが、如何に自分勝手かの証拠になるからです。

その為、メタTMにおけるテープの本数問題から入ります。

但し、テープ本数問題は、議論の入り口に過ぎません。

駄目さを暴露するための取っ掛かりです。

 

鳥猿はTM論の初期の段階で(P問題の場合)

「『1本テープTM vs 多テープTM』

のステップ数は多項式時間の差」

と刷り込まれています。

フッ、インフルエンザで集団死するタイプだ。

そもそも、多項式時間同値性証明作業の前提として

「多テープTMの動作を1本テープTMに翻訳できる」・・・(多⇒1)

と安易に考えるのが青いの。

 

普遍的に演繹証明した気分らしいけど。

そんなことは出来ない可能性を考慮したことはない模様。

この真意について、今回、分かるという筋書き。

まずは、教科書レベルの話から。

 

片側無限の2本テープを上下にくっつけると1本テープになるように見えます。

両方向無限テープを片側無限テープに埋め込む場合も同様です。

よくやるでしょう、整数を自然数に埋め込む方式ですよ。

・・・,-1,0,1,・・・

0,-1,1,-2,2・・・

と枚挙して、-xを下段に持ってくるの。

 

違いは(テープを区切る)セルが上下2段の2トラックに増えた程度の差。

これが教科書が採用している(多⇒1)法です。

しかし、こういう風に粗く考えるから駄目なのです。

ポイントが、どこにあるのかというと。

2テープの場合、テープ夫々にヘッドが1個なので。

両方で2個のヘッドが付いています。

それに対し、2テープ合体させて2トラック1テープにした場合。

ヘッドの数は?

 

1テープTMと見做したいのですから、ヘッドも1個ですね。

この差を、どう処理するか?

(中には、ヘッド2個を残したモデルもあるけど。

それなら、テープ2本と多項式時間同値どころか、実質同一です。)

それを工夫するのが演繹証明のポイントで。

上手く対処したように思って事故満足している様子。

しかし、この処置の仕方が甘いのよ。

何も違和感を抱かなかったのか。

 

猿は

「1テープが上下2トラックに分かれており。

各トラックがセルに分かれるので上下で2セルになる。」

という言い逃れをしています。

これが、既存の教科書が採用している詐欺。

これの何処が詐欺か分からないから猿だと言ってるのよ。

詐欺を悟らすヒントを書いておいたのに、まだ目が覚めないのかな。

何の為のメタTM理論だ?

 

2トラック方式でセルを上下二つと言ってますが。

メタTMにおいて

「1テープ1トラックの公準」

を満たすTMを

「標準TM」

と規定し、1本テープの標準TMを

「基準TM」

とすると。

 

「2本テープ標準TMを基準TMに翻訳できるか?」

これが、正式な証明問題です。

これに関して、次回、検討しますが。

既存の証明は、基準TMへの翻訳途中で。

1本テープ2トラックで上下2セルの

「非標準TM」

を経由した翻訳法が多い。

 

従来の猿は、それで、証明が出来ているかのように振舞ってきたの。

振舞うというか、脳精度が粗いので。

一般的な証明になっていると錯覚してきたのです。

フフン、甘いわ。

■の恐ろしさが分かって無い模様。

計算可能の範囲でテクニカルに移行するのと。

証明可能の範囲でマトモかどうかチェックするのは別儀。

 

そもそもですよ。

メタTM論においては、様々な公準が発生します。

「多テープ公準 vs 1本テープ公準」

「1テープ1トラック公準 vs 1テープ多トラック公準」

「多トラック多セル公準 vs 多トラック1セル公準」

これらは、各々、独立です。

これが理論としての公理体系。

 

この体系化の下、猿が検討したのは、

「2テープ公準は1テープ公準に翻訳可能か?」

これねー、テクニカルな話とは別に、そもそも論として。

「基本の異なる公準を相手側に翻訳できるの?」・・・(独?)

こういう懐疑を抱く脳じゃなかったわけだ。

翻訳できるなら、互いに独立とは言えませんね。

 

中には、独立ではなく、証明の範囲で

「⇒や⇔で相互に関係付けることができる。」

ケースもあることが、後に判明する場合もあります。

だから、ここでは遠慮して、公理とまでは言わずに

「公準」

と呼んでいます。

しかし、計算可能の範囲で移行させても。

それが証明可能とは言えない。

 

では、ここの真理は、どうなっているのか?

次回、更に深い分析に入りますが。

最後に、少し立場を弁えさせておきましょうか。

これで懐疑が始まらなければ、馬化の見本だ。

猿の脳が、どの程度なのか、この一例で分かるという筋書き。

 

1テープ2トラックの計算可能性を考える場合。

「トラック依存状態qt」

という概念を採用し。

上トラックにおいて

「If qt, then 下トラックへ移り・・・

Else, 上トラックでストップ」

なんていう計算を考えることができます。

 

tape2へ移ってから、・・・をどうするかは、ここでは指定しません。

千差万別です。

これで少し、2トラック法に懐疑を抱き始めるでしょう。

それでも、

「トラック依存状態なんぞ採用しない。」

と状態に制限を付けて回避しようと画策するカモ。

フッ、それが青いの。

これが回避できるなら、2トラック方式自体を採用しないと主張できるでしょう。

 

そもそも、TMの定義は?

トラックはTMの定義に反していますね。

ここまで来ると、

「(狭義の)TMじゃなくても計算可能」

と言いたくなってきたのでは?

これが様々な公準の存在理由で。

後の伏線になります。

 

分かったかな、論理的な正当性把握が如何に大事か。

TMは計算可能性を決めるのですが。

メタTMは証明場に乗る範囲の話なんですよ。

その差異を冒頭の■は象徴しているのです。

格で天皇を超えたな。

 

隠喩皮肉を弄しておくと。

「昭和・令和」

と来たから。

やがて、

「同和」

の時代が来るカモ。

ヨッ、

「同和天皇」

神舐めると、こういう破目になるんだよ。

これで381町目。

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