2025年6月28日

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2025年6月28日 (神ブランド)

 

前回からの続きです。

前回、私が証明したのは

「非標準TM計算から{1,0}基準TM計算への翻訳は証明できてない。」・・・(1)

という事実。

この文脈で“翻訳不能”とまで言う必要はあらしゃいません。

“証明できてない”と言う方が、猿の愚かさが際立ちます。

全部、君らの責任問題ですよ。

なんだよ、あの教科書や論文は。

馬化の群れとは、こういうことを言うの。

 

言っておきますが、一般に

「『証明不能』と証明する」

のは面倒ですよ。

公理系をキチンと設定し、メタを考察する必要があるから。

こういう真理すら把握できてない猿の惨めさよ。

(1)の帰結として、次の真理が得られます。

 

人生のハイパー論理原理Y”

2テープ標準TM計算から{1,0}基準TM計算への(多項式時間)翻訳は証明できてない。  ┤

 

しかし、一方で、

「{1,0,h}基準TM vs {1,0}基準TM」・・・(h)

は共に計算可能なはず。

だったら、何かの公準を追加すれば翻訳可能だろう。」

こう考えるカモ。

それが甘いと言ってるの。

 

「計算可能性 vs 証明可能性」

は別儀。

その伏線が■だったというシナリオ。

ここから、Churchのテーゼに繋がります。

「計算可能とは何か?

何であるべきか?」

 

だって、(SH)公理体系単独では

「{1,0,h}基準TM⇒{1,0}基準TM」

の方向の翻訳は成立しないの。

∴2本テープTM⇒1本テープTM

方向の翻訳も保証できていませんよ。

少なくとも、メタTMでの公理設定を明示せず。

曖昧に暈したままでの、従来のデキル気分の証明は、全て間違い。

 

つまり、TM論の教科書は、悉く、全て、インチキ。

青詐欺の見本です。

キチンと公理設定して出直して来い。

大事なのは、かみまでも状況設定の方です。

驚天動地とは、こういう真理。

それを暴露する神という構図。

どうじゃ気分は、猿脳よ。

 

この波及効果を計測するとトランプの相互関税なんかとは格が違うわ。

これで追加の1000兆円。

事、ここに至っても、未だに、

「私の方が間違っている」

と思う、そこの猿よ。

ホント、五月蠅いぜ、強請り化は。

跳ねるのは、猿の万博会場だけにしておけ。

 

齧りリンゴのスマホ共々。

人類進化の邪魔だ、切腹して死ね!

どう邪魔なのか、今回、骨身に沁み込ませてあげます。

では、宙爆開始。

駆除剤の散布ですよ。

 

「2トラックの非標準TMも{1,0,h}基準TMには翻訳可能なはず。

だったら、計算可能だ。

ということは、{1,0}基準TMにも翻訳可能なはず。」

こう考えるから駄目なんです。

近似モデルとしてのTMセマンティクスの相違が分かってない。

「証明場において、何故、公理というものをキチンと提示する必要があるのか?」

猿脳は、この基本思想から解き明かしてあげないと理解できないらしい。

 

「2本テープ{1,0}標準TM vs {1,0}基準TM」

を考えてください。

両者、許容テープ数が異なります。

∴公理として、両者は独立です。

つまり、TMのメタセマンティクスとして

「2本テープ ⋀ 1本テープ」

は両立しません。

矛盾するということ。

 

よって、厳密に言えば、

「基準TM世界では、2本テープTMは考察できない。」

のです。

この事実関係に、どう対処するか?

今まで、こういう独立系課題を考察した計算猿は皆無でしょう。

「計算可能なら同値」

程度に緩く考えてきたからです。

この論点が大問題だという意識が無いはず。

 

歴史上、独立というと、従来の見識では。

「『平行線の公準・ゲーデルの不完全性定理・集合論の強制法・・・』

など、そう易々と出現するものではない。」

と思ってきたらしいのですが。

どうですか、目の前で提示した簡単な独立性は。

このレベルなら、いくらでも出現すると思うはず。

TM論以外の他の分野でも、以下、同様。

まずは、この認識が大事。

 

但し、TM論における、この独立性を当たり前と思うようでは、まだまだ。

結構、意味深ですよ。

何に波及し出すのか?

実は、Churchのテーゼに干渉するのです。

どういう意味か?

「計算可能とは、{1,0}基準TMで計算できるということ。」

こうテーゼを設定して何か不都合はあるのか?

ありませんね。

 

すると、計算可能性の観点から

「2本テープ標準TMが計算可能かどうか?」

は対象外として無視できるでしょう。

これが公理の重要性の秘孔。

「2本テープ標準TMも計算可能」

と主張する為には、それなりの公理体系をキチンと提示して。

その点を証明する必要があります。

そこから、前回のような翻訳問題が生起するのです。

こういう深謀遠慮。

 

但し、脳タリンの曖昧猿は、反射神経で、こう言い逃れするカモ。

「計算可能性に対する公理を

2本テープTM ∨ 1本テープTM

と緩めればOK宇宙。」

これが、旧来のTM猿の哲学だったのです。

Churchのテーゼを、そう緩く解釈したわけだ。

フッ、だから猿の反射神経推論では、世の中マトモに動かなくなるの。

ここからの分析が神の仕事。

こういうのを、教会への手紙というの。

 

今は、メタTMにおける遷移関数セマンティクスの話をしているわけですが。

このセマンティクスは千差万別ですよ。

テープだけでも、1本からn本まで。

この上限nが設定できますか?

できなきゃ、無限本数のテープを許容する破目になります。

そんなもの、∨で公理化できないでしょう。

ここからシェーマの重要性を垣間見ることができますが。

ここでは、更に深い境地が必要になるという筋書き。

 

仮に、

「テープn本許容する」

というTMの公理を

tape(n)

としましょうか。

すると、1本からn本まで鷹揚に許容する公理

tape(1)∨・・・∨tape(n)

が設定できます。

これを

TAPE(n)

として。

 

公理シェーマ

TAPE(x)

を考えるとOK宇宙と思うのが浅はかなの。

シェーマというのは、証明中、使ったψ(x)が、その時々で変化し。

最終的には

ψ1(x)、ψ2(x)、・・・、ψn(x)

と全部使うわけで。

これは、∧で結ぶ使用法です。

 

これに対し、tape(x)は∧で結べるか?

セマンティクス考えれば無理ですね。

一方、TAPE(n)を採用する場合は、∧で結べば、nが最小のTAPE(n)に帰着します。

いずれにせよ、果てしなくnを拡大したい場合、∨で結ぶしかない。

こういう斬新な具体例になっているわけです。

つまり、従来のシェーマでは解決できない課題の登場です。

これに、どう対処すべきか?

 

中には、∨を無限化して。

Σ(n)

とする立場もあります。

(Σの下に、添え字として、“n>0”なんて小文字で遠慮して書きます。)

しかし、このレベルの話は直ぐに行き詰まります。

 

Σ(n)は計算可能となるのが前提ですが。

tape(x)

に対し、

「各tape(n)はnの差」

と思っているでしょう。

それを保証するには、tape(n)をformulaとして書き下す必要があります。

やってみ。

できもしないで、Σ(n)なんぞと∨拡張するんじゃない!

 

もし、tape(n)が書き下せたとしても。

遷移関数セマンティクスは、他にも、様々なパラメータがあります。

一々、全部、取り上げて。

あらかじめ、全て、設定できますか?

設定した瞬間、必ず、それを超える新セマンティクスが登場しますよ。

その新TMは限定された元のTM計算可能の範囲外で良いのですか?

君ら、猿の脳内では都合悪いでしょう。

「可能な全ての(セマティクスを実現する)TM」

を候補にしたはずですから。

だからこそ、1本テープだけじゃなく、n本テープも許容するのです。

 

こういう真理が把握できてないと神の御利益は理解できない。

シェーマの場合は、コンパクト性使って、実質有限しか考えません。

だから

ψ1(x)、ψ2(x)、・・・ ・・・(Ψ)

がformulaとしてバラバラで同じ型に嵌まってなくても。

必ず計算可能になるのです。

 

というわけで、創始者特権で、こういうケースを

「∨のシェーマ」

と名付け、歴史上初の概念として著作権設定します。

この代表見本役で、∨のシェーマは至るところに出現することが判るでしょう。

ここから、(通常の∧)シェーマと∨シェーマの競演が始まり。

 

最終的には、

「枠内 vs 枠外」

の話に繋がります。

Σは枠内操作で、無限でも規則正しく並んでいれば。

計算可能になるから何とかなりますが。

(Ψ)が型に嵌まってないケースや。

シェーマが自由集合になると、Σでは、どうにもならしゃいません。

これで390町目。

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