2026年1月28日 (神ブランド)
前回は
「tape(1) vs tape(2)」・・・(tape)
の観点から、より一般に
「有限個」
に関する議論に触れておきましたが。
あの段階で、
「史上初の最重要課題を提起されている。」
と悟る脳力があるかどうかが消滅解を理解できるかどうかの分水嶺。
こう言われても、未だ、ポイントを把握できないはず。
それほど難しい課題なんですよ。
一見、当たり前に見える常識に潜む千尋の谷。
こういうのを把握することは本当に困難なのです。
特に、刷り込み鳥猿には。
例えば、量子論に関し私が4者4様の区別を提示したので。
最近、鳥猿の性癖の一つがぶり返してきた模様。
どんな致命的な癖か指摘しておくと。
「目に前に危険が迫ると、目を瞑って、それが無いものと見做す。」
という習慣、というか、生き様。
こういうのを、標語で
「頭隠して尻隠さず」
と言い、駝鳥猿の習性として有名です。
(図体が大きいと、却って、不利だな。
目だって狙われるから。)
具体的に言えば、
「ZF集合論で矛盾が起きて拙いなら、理論OSを集合論から圏論に変えればOK宇宙。
これで、無矛盾に統一が取れる。」
というド素人理論猿の出現です。
フッ、圏論が無矛盾だと、誰が証明したのかな?
集合論が理論のOSになるというのは、特別な理由があってのこと。
それが把握できてないから、アプリに過ぎない圏論をOS候補に推したりする破目になるの。
「第一階述語論理 vs 集合論」
の根本的な相違とは?
この問いに正確に解答できる脳力が無い証拠。
どういう意味なのか猿に周知徹底させるため情報開示しておくと。
集合論は理論世界のOSの役目ですが。
それ独自の理論対象も有します。
「それは何か?
何であるべきか?」
それはね、無限を極める理論だということ。
だからこそ、全ての数学の基本になるのです。
有限の範囲で集合論を考えると、それは、ほぼ第一階述語論理と同等です。
つまり、ωが出現するから実無限の価値があり。
そこから、更に、非可算の連続体なんかに広がっていき。
(人生の実数モデルよ。)
更には、選択公理や連続体仮説なんかの独立性に繋がっていく。
圏論で無限を扱えますか?
原理上、無理ですよ。
理論が、そうなってないもの。
集合論がOSにあるから、圏論でも無限を扱うことができるだけ。
隠しきれないユスリカが、いつしかアナタに染み付いた(^^♪
更に、無限だけではなく。
もう一つ、集合論が独自に扱う分野というか、概念があります。
それが
「空(集合)」
という概念です。
哲学の曖昧さを普遍枠内に切り取る役割り。
自然数の0なんかとは格が違います。
色即是空・空即是色
分かってきたかな、集合論の価値が。
実際、ZFの公理化を見て御覧。
空と無限の存在が公理として登場しているでしょう。
その他の公理は、ほぼ第一階述語論理です。
悟れたかな、反射神経の理論猿よ。
それ以上、己の惨めさを世間に晒すな。
私に逆らうと市中引き回しの刑に処す。
この導入部から、今回の本論へ。
宙爆開始。
ここまで焦らしてきたので。
そろそろ、ホワイトアウトの真意というか、恐ろしさを開示しておくと。
従来、数学では
「有限」
と言う概念はハッキリとした数学的な定義をクリヤしていると見做されてきたわけで。
あらゆる分野で、有限制約は使用されてきました。
しかし、tape(有限)の公理化議論を提示されて。
何も違和感を抱かなかったのが猿脳の限界。
猿は公理化なんか本気で考えて無い証拠。
だから、駄目なんですよ。
「ひょっとして、
『有限』
という概念は曖昧な概念じゃないのか?」
今まで、誰も、こういう風に物事を考えたことが無かったはず。
しかし、私だけが、これを真剣に取り扱ったわけで。
実際、有限と言う概念は、ある種の曖昧さを含むと発見したのですよ。
どういう種類の曖昧さか?
有限とは無限ではないということ。
この意味で、古典論理においては無限と有限は
「曖昧さ同等」
です。
では、数学で扱う無限とは?
集合論で実無限として定義されるわけですが。
そのZFが矛盾しているので。
無限という概念には、ある種の曖昧さが潜むのです。
∴それと、同等の曖昧さを内包します、有限概念も。
前回、有限は自然数で可付番化されると論証しましたが。
肝心要のωがZF矛盾の素になっているのですよ。
他の公理も怪しいのですが・・・。
これが
「Øのパラドックス」
の凄さ。
こういう世界観は、ZF矛盾を証明した私だけが到達できた境地。
というわけで、解答は、
人生のハイパー数学原理Y
有限という概念は「ZF矛盾程度」の曖昧さを含む。 ┤
となります。
この局面での、曖昧さの意味が深い。
ZF矛盾は確定であり、曖昧さは微塵もありません。
神の私が証明済みです。
では、
「ZF矛盾程度の曖昧性」
とは何を意味するのか?
それはね、
「この世に無矛盾な集合論はあるのか?」
に対する解答が出てないという意味での曖昧性です。
私のYJがあるのですが、未だに世に出ていない。
だから実無限のωをキチンと定義できているかどうか脳タリン猿には確かめようがない。
こういうレベルの曖昧性です。
この結論はZF矛盾からの直接の帰結なんで。
1見10知100考1000創
やる修行が出来ていれば、当たり前なんですが。
従来の常識に憑りつかれている鳥猿にとっては驚天動地の結論のはず。
分かってきたかな、数学にも曖昧な概念が潜んでいるという事実が。
最も基本的な概念である“有限”すら曖昧なのよ。
だからこそ、曖昧さ排除のために集合論が大事になるのですが。
如何せん、ZFは矛盾しています。
では、YJでやれば、有限はハッキリするのか?
フッ、YJ構築してみなさい、お猿チャン。
YJは状況依存ですよ。
で、このハイパー数学原理から消滅に繋がるという筋書き。
有限が曖昧になったら。
多項式なんか、もっと、ズット、丸っと曖昧です。
だって、定数項があるもの。
ゆえに、類推脳力があるなら。
「多項式」
についても、同様の論点が生起すると判るはず。
というか、遥かに、曖昧性が増すと想定するのが自然。
この結果、どういうことが起きるのか?
「P vs NP」
問題が消滅に至るのですよ。
それ以前の話として。
TM遷移関数セマンティクスの曖昧さ問題も生起します。
これがテープの本数問題でした。
実機で{1,0}計算できているからと言って。
{1,0}基準TMの理論的な特異さが解消するわけではないということ。
そもそも、実機の素直な理論化は万能TMの方で。
これには、計算部とは別に、遷移関数を格納するテープが必須。
つまり、最低でも2本テープの世界です。
それが証拠に、実機はCPU+メモリとして実装されるわけで。
理論的には、各々にテープが付随します。
最近は、更に、GPU対応テープも登場しますね。
その時々の都合により、つまり、状況依存で。
テープ数は有限の範囲で動くのですが・・・。
これで繋がった。
分かってきたかな、事の重大さが。
何故、目の前でヨハネの黙示録が起きているのかです。
「数猿は、自分が馬化だと分からない馬化。」
「物理猿は近似馬化。」
「哲猿のやってることは言葉遊び。」
「論理猿の脳は空」
という隠喩標語が効くなあ。
感性で区別するため、色分けしたくなる。
4者4様もあるし、配色は任せます。
いつまで、
「神を無視しても生きていける。」
と妄想抱けるかな。
見事な悪魔ぶりだ。
今回も、1京円稼いで、トータル9京円獲得。
これで411町目。