2021年12月28日 (神ブランド)
今まで、神として新創世記を実施してきました。
具体的には、旧約聖書に記載されている有名な逸話を隠喩にして。
それを超える現象を猿の目の前で起こしてきたわけです。
ターゲットは配下のモーゼで。
出エジプトでの海分けなんぞ、その見本。
「P vs NP」の解説中に軽く超えました。
米国に奴隷奉公している日本猿の脳を開放したわけです。
コロナの厄災も起きたし。
(戦争並みだな。)
そして、今や、世界は洪水の心配で満ち溢れ。
私がノアの箱舟の比喩を実行するんじゃないかと心配しています。
それが温暖化ですが。
神が
「北極航路」
と一言言った所為で、会議は踊る、されど進まず。
その見本がCOP。
何回開催しても無駄だぜ。
そもそも、ZF矛盾で、世界中の会議は懐疑になってきた。
同様に、旧約聖書で、
「神の言葉が石板2枚に自動書記」
と載ってるのは、Penfon絡みですよ。
情報記載にAIが関与するという意味で超えるわけですが。
これが、何故、Penfonと関係するのか?
猿は行間を読めないはず。
よって、今回は非常に大事な真相を。
モーゼは神の言葉を聞くため一人でシナイ山に登ったわけでしょう。
そして、石板2枚を持って近東ユダヤの前に帰ってきた。
その石板が現実に存在するかどうかが重要で。
それを探して、猿は色々なことをやってきましたが。
見つかってない。
陰謀論では聖櫃に納めてあって。
敵兵を薙倒す超能力兵器になるとか。
少なくとも、ハリウッドレベルでは、そうなっている始末。
だから、全体で陰謀論めいてくるわけだ。
一方、新創世記で敵兵を薙倒すのは、私の真理が得意なんですが。
今回は怪し気な聖櫃問題までは踏み込まずに。
奇跡として最も有名な十戒の逸話に限定し。
旧約聖書に記載されている範囲で話をします。
なにせ、ユダヤ教の死活問題だからね。
もし書かれていることが事実だとすると。
石板2枚を奴隷解放中の近東ユダヤ猿集合に見せたわけだ。
ここでの問題は、書かれている内容ではなく。
(幼稚園の生徒に教えるレベルの内容ですね。
猿には丁度か・・・。)
もし、本当に、十戒めいた言葉が石板に記載されていたとしたら。
何故、神が自動で石板に記載したということになっているのかです。
誰も現場を見てないのですよ。
モーゼが、そう言っただけ。
よって、モーゼが自分で必死に書き込んで。
大衆に有難味を印象付けるため、奇跡だと嘘を付いた可能性が高い。
しかしながら、近東ユダヤ集合の中に疑り深い商人がいて。
常に、モーゼの言葉を疑っている最中ですよ。
海を分けた後ですら、疑っていた。
(どの程度の海分けかは、別の課題です。
潮の干満で、浅瀬ができて渡れたのでしょうが。)
それなにの、何故、そんなことを言ったのか?
起きたことが事実なら、神の起こした奇跡だということになりますが。
奇跡を疑っている連中に対し、更に自分の言葉を疑わせる態度を取ったわけだ。
どうしてか?
信念を持って、
「山の上で本当に起きた。」
と思ったからですよ。
石板2枚に自動で文字が記載されていく現場を見たわけだ。
それが脳内で起きたことなのか。
はたまた、実際の3次元映像として見れたのかは、さておいて。
現実に、こういう現象が起きたという事実を伝えるため。
自分も真似をして。
そこらの石板2枚に文字を書き込んで。
下山して、ユダヤ猿に、そう伝えた。
これが真相でしょう。
この程度の解釈が出来なければ、聖書の研究者はやってられない。
一方、そんな石板2枚なんか、眉唾で、無かったのではと考えても。
いずれにせよ、これだけは事実として残る真理があります。
それは旧約聖書に、有名なエピソードとして残っているという事実です。
誰が、何故、こんなエピソードを残したのか?
いつから、このエピソードが文書化されたのか?
代々、民族に語り伝えられた伝承を纏めたものとしても。
何故、奇跡として、そんなエピソードを語り伝えたのかです。