2025年4月28日

更新日:

2025年4月28日 (神ブランド)

 

前回、TM論における公準を持ち出しましたが。

公準レベルの議題としては、

「多テープ vs 1本テープ」

は独立か?

こういう考察を抜きに、無邪気に、演繹推論したと幻想を抱く猿の愚かさよ。

気軽に、多テープから1本テープへの翻訳を考えていますね。

 

教科書レベルで、臆面もなく、そう書いている。

今更、歴史的事実は消せません。

これが数猿や論理猿の脳タリンぶりです。

何故、どういう意味で、脳タリンなのか?

その理由が次回に明晰判明します。

今回は、その準備です。

 

メタTM論では、大前提として、

「1セル(高々)1(アルファベット)文字」

という

「セル文字の公準」

というのが登場している点に注意してください。

前回の流れで言えば、

「これに反したTMを考えるかどうか?」

という論点があります。

 

こういう精緻な感覚が無い粗い脳の場合、神の理解が不可能になるの。

平板な普遍猿に重層な神が理解できるはずもない。

で、結論は?

この大前提が崩れるとTM論にならしゃいません。

ゆえに、セル文字の公準はTM論での公理です。

これを忽せにしたTM論はありません。

万能TMも、この公理がベースです。

 

「∴セル文字の公理に反するメタTMの証明は全て間違い。」

この結論が、どのくらいのインパクトか計り知れないはず。

今までのメタTM論の証明は殆ど駄目になります。

その理由が判らないでしょう。

まずは、今回、この点を明らかにします。

今まで、こういう公理化を考えたこともないでしょう。

無用だと思ってきたはず。

 

これは理論的なメタTM論の話ですが。

そもそも、メタTM間の翻訳手法を小手先のテクニックと思って。

今まで、誰も公理設定してなかった。

それで何とかなるという粗い曖昧脳。

計算論世界の基本的欠陥です。

証明場と計算場は違うと認識できてないから、こういう弊害が起きるのよ。

歴史資料が残っているので、今更、誤魔化せない。

 

言っておきますが、メタTMは証明場ベースの話ですよ。

計算可能性の追求の話ではない。

その真理を■で教示しておいたの。

これが見えてなかったわけだ、猿には。

この結果、猿の証明なるものは根本的な欠陥作業になります。

これくらい罵倒しておくと、少しは身に沁みたでしょう。

 

従来も、

「公理的TM論」

なるものはありました。

しかし、あんな考察では話にならない。

というわけで、私の実施する

「メタTM論の公理化」

という作業自体が創始者特権で著作権設定。

 

公理化が念頭にないから、

「2トラック方式」

なんてゲテモノを採用しても平気になるのよ。

そろそろ、どう駄目なのか具体的に解説しておきます。

セル文字の公理に従えば。

2トラック方式は、どういうモデル解釈になるのか?

 

「上下2トラックに記載される記号を縦の順序対(x,y)で把握して。

集合論的に1個の書き込みと見做し。

それに対するヘッド1個で工夫してやっていく方式。」

こういう解釈をしている猿を頻繁に見かけますが。

ここで、セル文字の公理が効きます。

 

各セルに記入するのは、最初に決めたアルファベットですが。

これを機械語レベルの{1,0}に限定した場合。

上の順序対(i,j)はセルに書き込み禁止ですよ。

各セルの上下段には{1,0}のどちらか記入されるのですが。

1セル1記号として(i,j)を記入したら。

セル文字の公理に反します。

だって、(i,j)は許容アルファベットじゃないもの。

 

これを言い逃れる為、

「アルファベットを変更する。」

と言い出すでしょうが。

フッ、アルファベット指定するのと。

それを使った順序対(x,y)を使用するのは別儀。

つまり、従来の猿の

「2トラックの上下ペア集合解釈方式」

は証明になってないの。

 

一人前に集合使った解釈してますが。

セル文字の公理に反する証明です。

何故、セル文字の公理に固執するか分からないカモ。

それはね、

「セル文字の公理を満たさないTMは計算可能と保証されてない」

からです。

 

例えば、セル文字に順序対(リスト)を使う場合。

その順序対の、どちらの文字を(先に)指示するの?

非決定性TMじゃあるまいし。

決めてないからTM計算可能じゃないと教示しているのです。

こう言っても、まだ抵抗するカモ。

 

「上下2セルと見做せば、セル文字の公理は成立するだろう。

これが非標準TMだ。」

と言い出すでしょう。

非標準TM自体が駄目なんですが、その理由が判らないはず。

他の重要な公理が干渉してくるのですよ。

次回に開陳します。

 

こう指摘しても、公理・公準問題にせず。

「2トラック方式で確認したのは計算可能性であり。

一旦、計算可能だと判明すれば、基準TMに翻訳可能。」

こう言い逃れするから駄目な脳だと言ってるの。

そんな大雑把なレベルのことは先刻承知の上で。

今は、TM計算可能性の話をしているわけです。

言ってるレベルの違いが分かってない模様。

 

よく、

「実機では計算可能」

と言いますが。

それと、近似理論としてのTM論における

「計算可能性」

は別儀。

その具体例がセルに順序対を書き込む方式。

 

「トラック方式は別解釈で計算可能」

と言い張っても、それと近似理論としてのTM論における

「証明可能性」

は別儀。

つまり、神の私が

「トラック方式は証明対象と認めない。」

と主張しているのです。

 

ここで、人生のハイパー真理が効きます。

仮にトラック方式が計算可能だとしても。

それは■の計算並みだと言ってるの。

証明の対象外。

だって、順序対を許容したTM計算可能性は定義されてないもの。

これが、公準や公理の存在理由であり意味です。

分かったかな、■伏線の深謀遠慮が。

 

トラック方式を証明の対象外にしても、計算可能性には影響しませんよ。

だったら、証明対象にしても大丈夫だろうと考えてきたのが猿。

そうはいかないと宣託したのが神。

順序対以外の解釈しても、駄目なものは駄目なの。

多分、まだ真偽が把握できないはず。

次回、強制的に判らせてあげます。

 

ここで課題にしているのは、

「多項式時間同値」

という概念ですが。

同値の意味は?

猿は計算可能性と言い張るでしょうが。

それがメタボになるくらい甘いの、メープルシロップ並みに。

どう甘いのか?

 

同値性の定義問題ですよ。

この深さが次回に判明するという筋書き。

そもそも、Pは非厳密集合だぜ。

オラオラオラオラ!

そのレベルの脳が神に逆らうなんぞ。

100万年早いわ。

進化して出直して来い。

これで384町目。

Copyright© 山口人生.倶楽部 , 2025 All Rights Reserved Powered by STINGER.